みなさまこんにちは。towadatravelの特集ページへようこそ。
本日は、「人馬一体となる感動体験」をお届けします。
ぜひ訪れていただきたい十和田乗馬倶楽部さんの乗馬体験をご紹介します。
初心者のレッスン
この日はオパールが私の相棒だ。体験時間はわずかに1時間。
そのなかで、オパールと仲良くなり、騎乗し、オパールを "自由"に動かし、外場を楽しむことが目的だ。
乗馬倶楽部に在籍する馬は、日本特有の在来種、性格は温厚で、気性の激しい競馬の馬とは違うと聞いて少し安心する。
早速、ヘルメットを装着し、オパールと対面。首筋を触ってみると意外にあったかい。
オパールとのやり取りはすでにここから始まっているのだ。
大きく、愛くるしい瞳に「よろしくね。最後まで振り落とさないで」とお願いしてみる。
心なしか、「もちろん」と答えてくれたような気がした。
続いて佐々木講師に馬の乗り方から、合図の出し方、ほめ方まで一通り教えてもらう。
なんでも、馬との信頼関係、コミュニケーションが大切らしい。
鐙(あぶみ)と呼ばれるその位置は意外に高く、「踏み台が欲しい」と心の声が叫ぶ。
やっとの思いで左足を猪に掛け、右手でホーンをつかみ、身体を馬に預け、宙に浮く。いや浮いたのではない、私がとにかく重いのだ。
自らの老いた体に鞭を打つ私も必死だが、私の全体重を預けたオパールにも申し訳ない気持ちがこみ上げてくる。体重の重みで私の左足がプルプル震えだす。
「でも、ちょっと痩せたんだ」と、誰にともなく言い訳をしてみる。日ごろの運動不足を反省しつつ、やっとの思いで鞍に上がる。
いよいよ乗馬!と思った瞬間、視線の高さに驚いた。そこには、いつもと違う視界が広がっていた。
手綱の持ち方、鐙のはき方、騎乗姿勢、馬の操作について教わり、「それでは、さっそく馬を動かしてみましょう」と、佐々木さん。
馬の操作は大きく3点。
① 馬が歩きだすために両足で馬のお腹を刺激する「アクセル」
② 左右の手綱を開き、馬の進行方向を変える「方向転換」
③ 手綱を引いて止める「ブレーキ」
教えてもらった通り、お腹に足で合図を送るとオパールが歩きはじめる。
発進、左折、右折、そして停止。私の意思がオパールに通じているのか、リードロープを持つ佐々木さんが導いているのか、オパールの意思なのかわからぬまま、順調にレッスンは進む。
「大丈夫そうなので、リードを離します!」の声に実際にひとりで馬を操ってみる。
自転車に乗り始めたとき、補助輪を外してもらった瞬間のような、得も言われぬ不安と緊張感に包まれる。
私の心配をよそに、さっきまでと同じようにオパールは進む。
「馬にも気持ちがある、人間と何も変わらない。だから、人間に対するように接すればいい。
馬の身体を動かすんじゃなくて、馬の気持ちを動かすんだ。いや、オパールが俺の技量を受け止めてくれているのだ。
これが人馬一体の感覚なのだろうか。」などと、素人の私の脳裏にさまざまな言葉が浮かんでは消えてゆく。
ちょぴり、ぎこちないまま、場内レッスンはあっという間に終了。馬に触れ、馬を動かせるようになるまでに、開始から25分が過ぎていた。
外乗の魅力
いよいよ、外周の散歩がスタート。ようやく、景色を見る余裕が出てくる。
先導は佐々木さん、私、同僚、最後尾はもう一人のインストラクターが続く。
一行は田植えが終わって間もない田んぼのあぜ道を行く。空はどこまでも広い。
天気がよければ、八甲田山が望め、春には桜、秋には紅葉を眺めながらの乗馬が楽しめるそうだ。
馬の背の揺れに身を任せ、深呼吸してリラックスしようと思うが、なかなか緊張が抜けない。
オパールはときどき、前触れもなくグッツと頭を下げ、草を食べようとする。
その瞬間、私の体は前傾し、反射的に手綱を引く。ものすごい力で、振り落とされそうになる。「よろしくね。最後まで振り落とさないで、とお願いしたじゃないか」と心の声が叫ぶ。
前を行く佐々木講師はわずかな力で馬に意思を伝え、思い通りの方向、スピードで歩いたり、曲がったり、止まったりしている。
そのような感覚に至るには相当の訓練が必要だろう。幾度もコミュニケーションを重ね、少しずつ上達する快感、それが乗馬の醍醐味かもしれないと思う。
腰まで水に浸かり十和田湖の浅瀬を走ったり、奥入瀬渓流ホテルから子ノ口まで奥入瀬渓流沿いを散策したことがあると、講師が教えてくれた。
「乗馬×風景」が外乗の醍醐味だが、周囲を緑に囲まれ、人や車の往来も少ない十和田倶楽部の周辺地域もまた、外乗に最適の環境にある。
労働を体験価値に変える
騎乗を終えて、炭焼きのおじさんが労働を体験価値に変えた、という話を思い出した。
乗馬体験に応用すれば馬のお世話が特別な体験になり得るのか、ということである。講師によれば、ブラッシングや餌やりなどのスキンシップは、信頼関係につながるという。
馬は特に神経質な動物で、ストレスをため込むと、他の馬に攻撃的になるなど、問題が生じやすいそうだ。
そのストレスを発散するのにブラッシングは効果的で、私たちが美容室や床屋で頭皮のマッサージを受ける時と同じようなものらしい。
ブラッシングはマッサージ効果があり、毛の下に溜まっているフケや汚れを取ってやることでリフレッシュできるのだ。
馬の生態を知ることはとても興味深く、いちいち道理がある。
ブラッシングは体験の中に組み込んだ方が良いと思った。
お尻に残る馬の感覚を、「また来てね」というオパールのアピールのように感じながら、1時間の体験は終了となった。
これを書いている今もお尻の筋肉痛は残っていて、オパールの面影が浮かんでくる。
十和田と馬の関わり
三本木地方における馬市は、1863年(文久3年)に新渡戸傳(にとべ つとう)が開設し、1898年(明治31年)には日本一の馬産地としてその名が知られるようになる。
この頃の明治政府は「富国強兵」をスローガンに掲げ、経済発展と軍事力強化によって近代国家をめざしていた。
当時、軍にとって馬は重要な武器だった。
しかし、軍馬の体格が西洋に比べて劣る事に気付いた軍部は、自ら牧場の経営に乗り出し1885年(明治18年)三本木に軍馬育成所(のちに軍馬補充部三本木支部と改名)を設置。日清戦争(1894年-1895年)、続く日露戦争(1904年-1905年)において、軍馬は武器としての需要が増していき、1945年(昭和20年)の終戦まで、この地方の発展の原動力となった。
しかし、昭和20年代、1万頭も飼育されていた馬は、20年後にはわずか100頭余りに激減する。戦争を放棄したことで軍馬は役割を失い、農耕馬は機械に役目を譲り渡していく。
馬市が盛んだったころ、全国から集まる馬喰(ばくろう)たちで旅館は満員となり、街は終日、馬の列で賑わい、産馬通りには屋台や飲み屋が立ち並び、人と馬と馬糞の臭いがムンムンとしていたそうだ。今は、官庁街通りに建つモニュメントがわずかに往時を伝えているに過ぎない。
にぎわう「産馬通り」。奥に太素塚がみえる。
軍馬育成の、「軍馬二万町歩」の広大な土地は、戦後解放され、その上に現在の十和田市中心部が形成された。
京都をモデルに都市計画を行い、軍馬補充部正門から本部庁舎までの主幹道路は「官庁街通り」へと変わり、商業地域、住宅地域が整備された。近年は十和田市現代美術館を代表する美しい街並みへと発展を遂げている。
乗馬は感動体験
乗馬倶楽部を経営する上村鮎子さんは「今では自動車が馬に取って代わってしまったけれど、そもそも、人間の長い歴史の中で馬とともにあった時間のほうが遥かに長いの。立派な自動車があっても旅行者はこの町に来ないけれど、馬がいれば人を集めることができるでしょう」と笑う。
女性限定の競技流鏑馬「桜流鏑馬(さくらやぶさめ)」の普及に努めてき上村さん。
1000年も女人禁制だった流鏑馬の世界に女性が入ることに、当初は関係者からは反発もあった。徐々に理解者や賛同者が増え、今では全国各地に流鏑馬女子部の支部ができるほどに広がっている。桜流鏑馬は「第20回ふるさとイベント大賞(2016年)」の最高賞受賞という快挙も成し遂げた。
今回は、「常歩(なみあし)時速5km」を経験したが、少し速いのが「速足(はやあし)時速15km」、次に「駆足(かけあし)時速30km」人類最速の記録100M 9.58秒を持つ、ウサイン・ボルト並みの速さになり、最後は「襲歩(しゅうほ)」といい、全速力だと時速は60kmに達するという。
流鏑馬は疾走する馬上で、手綱を手放し、騎上で弓を引く競技だ。ただ弓を引くのではない、狙いを定めて的を射るのである。そして、主役はうら若き女性たちだ。
「私が元気なうちは流鏑馬の指導者を各地に増やし、『流鏑馬体験』の普及に全力を傾けたい」と熱く語る上村さん。お話を伺い、馬が「十和田の観光の主役としてのポジション」を取る可能性を充分に感じた。奥が深い馬の世界だが、難しく考えることはない。
私たちは馬に触れるだけでリラクゼーション効果を感じ、ストレスが解消され、気持ちが軽やかになる。
また、馬を意のままに動かせるようになれば爽快感を感じ、ワンランク上の技術を習得した時には格別な達成感が味わえる。
十和田の風景の中で、リフレッシュしながら、最高の感動を味わえる乗馬は家族連れやカップルにお勧めしたい体験だ。テレビや映画を見て、「広大な草原を馬で駆け抜ける姿に憧れた」という方も多いはず。この地で憧れを現実のものにしてみてはいかがだろうか。
towada travel 特集「人馬一体となる感動体験を」、ご興味を持っていただけましたでしょうか。
ぜひ、いろんな方に足を運んでいただけたら嬉しいです。
撮影:工藤 彰(くどう あきら)
文:川村 徹(かわむら とおる)