十和田市街地
十和田市官庁街通り
2022-10-13
更新
戦前当地が馬産地であったことから、帝国陸軍の軍馬補充部が設置され、周辺地区には広大な畑地と多くの厩舎があり、軍馬の生産に当ったほか、周辺の農家で育成された馬を買上げたことから馬市はこの地方の名物としても賑わいました。この馬市は、戦後に軍馬補充部が解体されるまで当地繁栄の重要な役割を果たしてきました。十���田市官庁街通りはこの時代の軍馬補充部事務所本部の正門から本部庁舎までの主幹道路のあとで、その両脇に植えられている松や桜並木は、当時の面影を残しています。この整然とした通りを生かし、昭和44年都市計画街路として、総延長1.1キロ、幅員36メートルの通りとして誕生しました。植樹帯には、樹齢100年からの赤松(168本)、ヨシノザクラ(165本)のほか、花壇も配置され、道の両側には、40を超える国・県・市の官庁が並び、熊本市、丸亀市と共に都市基本法の「事務所街区」にも指定されています。この官庁街通りは、四季折々の祭りを開催するなど常に市民に親しまれていることから、昭和61年8月10日に建設省から「日本の道・百選」に選定され、また平成4年には、駒街道として「新・日本百景(旅の手帳誌)」にも選ばれてます。
戦前当地が馬産地であったことから、帝国陸軍の軍馬補充部が設置され、周辺地区には広大な畑地と多くの厩舎があり、軍馬の生産に当ったほか、周辺の農家で育成された馬を買上げたことから馬市はこの地方の名物としても賑わいました。この馬市は、戦後に軍馬補充部が解体されるまで当地繁栄の重要な役割を果たしてきました。十���田市官庁街通りはこの時代の軍馬補充部事務所本部の正門から本部庁舎までの主幹道路のあとで、その両脇に植えられている松や桜並木は、当時の面影を残しています。この整然とした通りを生かし、昭和44年都市計画街路として、総延長1.1キロ、幅員36メートルの通りとして誕生しました。植樹帯には、樹齢100年からの赤松(168本)、ヨシノザクラ(165本)のほか、花壇も配置され、道の両側には、40を超える国・県・市の官庁が並び、熊本市、丸亀市と共に都市基本法の「事務所街区」にも指定されています。この官庁街通りは、四季折々の祭りを開催するなど常に市民に親しまれていることから、昭和61年8月10日に建設省から「日本の道・百選」に選定され、また平成4年には、駒街道として「新・日本百景(旅の手帳誌)」にも選ばれてます。