馬文化が生む伝統と革新
馬場は桜のトンネル
桜流鏑馬の開催は、その名前の通り、十和田のソメイヨシノが見頃を迎える例年4月中旬。十和田市中心部に位置する約200メートルの桜のトンネルを馬場に、沿道の片側を全国、海外から訪れる大勢の観客が埋め尽くします。疾走する馬の足音、弓矢が的に命中する音、観客の歓声ー。華やかな衣装をまとった騎士が颯爽と駆け抜ける姿は、観客を魅了してやみません。その立ち上げから現在に至るまで、第一線で活躍しているのが、上村さんです。
きっかけは父の一言
上村さんが馬の世界に本格的に関わるようになったのは2000年。第二子出産後に乗馬を始めたことがきっかけです。まもなくして父・中野渡利彦さんから「女性だけで流鏑馬をやってみないか」と提案を受けます。時を同じくして地元・十和田では、かつての馬産地ゆえに、馬を観光資源とした新たな取り組みを模索する動きが出ていました。
「父が旅先のフランス・アルルで、伝統装束を着て馬に乗った女性たちが街をパレードする姿を見て、女性だけの流鏑馬を思いついたんです。でも、私は猛反発で...」
本来、流鏑馬とは神事であり、女人禁制の伝統の世界。初めて流鏑馬を目にした盛岡八幡宮で、厳かな雰囲気に圧倒され「あまりにも素晴らしくて、この世界に簡単に入るものではない」と感じたことが、その理由でした。
流鏑馬が持つ伝統の重みから、「女がやるもんじゃない」「流鏑馬を馬鹿にしている」といった言葉を投げかけられたことも。だからこそ「やるならば恥ずかしくない内容をやろう」と、上村さんの挑戦はスタートしました。
すべての所作に意味がある
覚悟を決めた上村さんは、南部地方で伝わる南部流鏑馬の師範に弟子入りし、流鏑馬の技術や考え方を一つ一つ体得していきました。例えば、弓の使い方をとっても、それは意味を持ち、「伝統を踏まえた、理にかなった美しさ」があると言います。
「昔から伝わってきたことを、自分なりに理解して、流鏑馬の基本、考え方を次に伝えていくのが役割。だから私は点でしかないの」
伝統を解釈し、どう伝えていくか。桜流鏑馬の衣装はその象徴です。そもそも男性だけに限られていた流鏑馬の世界に、女性の衣装はもちろん存在しませんでした。伝統の装束のつくりを丁寧に研究した上で生まれた衣装は、振袖をリメイクし、馬にまたがりやすいよう袴を組み合わせたもの。
「最初は弓道着を着て馬に乗っていたのだけど、地味だし、もっと派手な衣装を着たいと思ってね。型を踏まえながら、型破りでありたい」
桜流鏑馬の勇壮で華やかな光景は、そんな上村さんの魅せる工夫があったからこそ完成しました。
2月ある日の十和田乗馬倶楽部。桜流鏑馬の参加予定者たちが、衣装作りに励んでいました。多くは家庭で着られる機会を失った振袖を再利用。「『もったいない』の心を学び、着物に触れることが、日本の伝統に触れ、理解につながるから」と上村さんは語ります。
馬文化が育んだ芽
桜流鏑馬で、流鏑馬をスポーツにするー。上村さんが背負ってきた苦労の大きさは、どれほどでしょうか。すると、こんな答えが返ってきました。
「まちの人に開拓の精神があったから、新しいことに対して寛容で、面白いことをやって盛り上げようという機運になったの。十和田だからこそね」
十和田は約160年前に、開拓によってできたまち。かつては、陸軍の軍馬補充部があり、一大馬産地として発展した歴史を持ちます。馬との深い関わりは、市内唯一の大学・北里大学獣医学部の開設にもつながっています。
そして、現在上村さんのもとで、馬の飼育を手伝っているのはこの学生たち。さらには、地元の高校生たちも大会の運営に関わっています。桜流鏑馬を支える仕組みからは十和田の歴史が見え、十和田の馬文化は、桜流鏑馬を通じて若い世代を巻き込みながら、脈々と受け継がれています。
性別問わず楽しめるスポーツへ
近年、上村さんは、全国各地のスポーツ流鏑馬を取り入れる乗馬クラブで指導に当たるほか、クラウドファンディングで流鏑馬教本の英訳を行ったり、海外メディアの密着取材を受けたりなど、海外への情報発信にも積極的。かつての在来種で、その姿や大きさが日本の歴史上で最も優秀と評価される「南部馬」の復活も目指しています。
流鏑馬は神事として男性によって守られてきた大切な儀式。一方で、少子高齢化により、地方の神事流鏑馬は後継者不足に悩まされている現状があります。「この問題を打破し、日本の祭りを継続する為、20年続けられてきたスポーツ流鏑馬の存在が重要となりつつある」と上村さんは言います。競技を「性別問わず」とあえて表現することは、スポーツ流鏑馬の普及に協力する全国の愛好者たちとの合言葉になっています。
桜流鏑馬は、コロナ禍の2020年は中止、21年はオンライン開催を余儀なくされましたが、2023年の今年、いよいよ20回目の節目を迎えます。伝統を大切にしながら、革新に挑んできた上村さんだからこそ、桜流鏑馬が次の時代に果たす役割をこう捉えています。
「ありがたい事に多くの人が桜流鏑馬の選手の姿を見て社会的メッセージを作ってくれています。今後の10年は女性限定といった表現を『性が女性』限定と表現し、間接的にジェンダー平等の社会を伝えるツールでありたいです。十和田市が、誰もが住みやすいまちになればいいなと。桜流鏑馬が、ほんの少しでもそのお役に立てれば嬉しいですね」
上村鮎子プロフィール
1971年十和田市生まれ。競技流鏑馬の第一人者。桜流鏑馬を企画し、海外観光客の誘客や地域発展に寄与。2016年「第20回ふるさとイベント大賞」内閣総理大臣賞受賞。有限会社十和田乗馬倶楽部代表取締役。